1-9 モナリザの謎 ~花衣

夜霧の煙る シャンゼリゼ通りで
人にすれ違った 瞬間
買ったばかりの スミレのブーケを
落して 踏んでしまいました

すれ違った その女性こそ
まぎれもなく
あの モナリザ
だったから です

淋しげな あの美しい微笑
淡いスミレ色の ショールをかけ
貴公子風の 美青年と
楽しげにあるく モナリザ

そんなことが あるでしょうか
でも 確かに
モナリザ だったのです

しかも
モナリザの ショールは
パリに来てから 買った
わたしのショールと 同じだったのです

わたしは
もう一度逢いたい 欲望にかられて
次の日も 次の日も
モナリザを さがして
夜のシャンゼリゼを
さまよいましたが 無駄でした

あれは
幻覚だった のでしょうか
いいえ そんな筈はありません

それから
半月程たった 夜霧のけむる日
スミレ色の ショールをかけて
リドのショウを 観に行きました

ショウが 終りに近ずいた時
なにか予感がして 視線を移すと

薄暗い観客席の その中に
モナリザが
あの日の美青年と いっしょに--

ショウが終えて
場内が 明かるくなった時
モナリザの姿は 既(すで)になく

わたしは
観客の流れに混って
出口に 急ぎましたが
求める姿は 見当りませんでした

わたしは
まっすぐ帰る気に なれなくて
スコッチをのみ ほろ酔いで
ホテルに 帰りました

ところが 不思議にも
贈り主の解らない スミレのブーケが
わたしに 届いていたのです

次の日
スミレ色の ショールをかけて
ルーブル美術館に 出かけました

モナリザは
いつもの あの美しい微笑みで
ガラスの額の中に 微笑んでいました

けれど
モナリザの 正面に立った時
額の中の モナリザが
かすかに動揺したのを 感じました

わたしは
不可解な気持で ルーブルを出て
ふと 空を見上げると

残照が薔薇いろに 雲を染めて
その先端は
天女の羽衣のように
スミレ色の ショールのように

美しく たなびいて
何とすばらしかった 黄昏の景

次の日 わたしは
ル・ブールジェ飛行場から
ロンドンに向かって 発ちました

ところが
なんと言う ことでしょう
ル・ブールジェ飛行場の ロビーに
あの大事な ショールを
置き忘れてしまったのです

わたしにとって
夜霧の煙る シャンゼリゼの
あの不思議な 出来事は
モナリザの 美しい微笑と共に
永遠の謎と なったのです

モナリザの謎 挿絵
モナリザの謎 挿絵:芳賀力

【朗読】
  モナリザの謎
    朗読:大森 寿枝

【メモ】