6.春の雪

<平成2年3月8日>

 東京周辺の春の雪は、水分を多く含んでいて、なんとなく暖かい豊かさを感じさせる。
 まぶしい雪が陽に輝いて、湯気のように立ちのぼる水蒸気は、恰も機関車が春を連れてやって来た感がする。
 寒椿の赤い花や深緑の葉に降り積もる風情は、心を和ませてくれる。
 ところがこの美しい春の雪が、思わぬ置土産をしていくのが頭痛の種となる。
 椿や椎の木の広葉常緑樹にたっぷりと積った重たい雪が、大切な枝を折って了うのだ。
 折るというより割(さ)いて了うと言った方が適切かもしれない。その痛々しさがわたしの胸を締めつけるのだ。そこで降りしきる雪の中を物干竿でとどく髙さの雪を、ふり払うことにしている。
 ささやかな木への愛の証明なのかもしれない。
 春の雪と言えば、昭和59年2月26日の二子多摩川の鮭の放流日には、近年に珍しい大変な猛吹雪だった。
 その凍てつく吹雪のなかをクラウン少女合唱団70名が、私の作詞による「ふるさとは多摩川」の合唱曲を演奏した。
 指揮者や少女達、集った人々の髪に肩に服に、雪はみるみるうちに白いペンキを塗っていった。斜めに吹きなぐる雪は止まることなく降り続いた。
 けれど少女達の天使の歌声は、鮭の旅立ちにふさわしく吹雪の多摩川に、美しく清らかに響いた。
 この日少女の歌声に送られて、30万尾の鮭の稚魚が放流された。その後も毎年二月に放流され続けている。
 成長した鮭が、母なる多摩川に一尾でも多く帰ってこられるように、私達一人一人が水をきれいにするよう、真に心がけなければならない。
 親から子へとしっかり伝えていって欲しいと思う。
 手のひらの小さな池に泳いでる、小鮒(こぶな)のような鮭たちが遙かな海を旅して、やがて大きく立派に育って、母なる故郷の川に帰ってくるのだ。
 あたらしい生命の誕生のために。