七草粥

 わたしの住んでいる川崎市のこの辺りでは、正月七日の朝に七草粥(ななくさがゆ)を食べる風習が残っている。七草粥は昔から万病を除くといわれ、無病息災の大事な行事の一つであった。
 わたしが少女のころは、この辺りでは七草ばやしの習俗も残っていた。
六日の夜に桶(おけ)の上にまな板をのせて、その上に火箸(ばし)やさい箸、おたま等を何組も置いて、摘み集めたなずな等の青ものを包丁でたたいた。そのときガチャガチャチャカチャカ賑(にぎ)やかな音を立てながら、「七草なずな唐土の鳥が、日本の土地に渡らぬさきに、すととんとんよ すととんとんよ」と唱えたものだ。
 それを一家の主(あるじ)が行うしきたりで、毎年父がちょっと照れながらやっていたのを思い出す。
 その傍らで使用人たちが「ソレすととんとんよ」と、大いにはやしたてていたものだ。
 お正月のこの時期は、おせち料理やお餅(もち)などで、胃の調子が重くなっているから、あっさりしたお粥が歓迎されるのも当然の理と言える。
 今ではその時期になると、和風レストランなどで、七草粥がメニューに並んでいる。
 七草ばやしを年中行事にしていたころの遊びは何処(どこ)へ行っても、羽根つき、竹馬、コマ、めんこ、凧(たこ)あげ、双六(すごろく)、かるたとり等々に興じていたものだ。かくして静かに平和な楽しいお正月を大人も子供も満喫していた。 七草のころは寒風が吹きすさんで家の中もとても寒かった。暖は掘りごたつと火鉢だけの寒さに耐える生活だった。
 その中から耐える心と、苦しみもやがて芽を吹く春の訪れに、希望を抱く人生の哲学が、実感としてあったのではないかと思う。
 「七草なずな唐土の鳥が…」若き日の父の顔が、いま九十四歳余の父と重なって、時の流れの川の中で、わたしの心に聞こえてくる。
 父の心の中にも、遙(はる)かな七草ばやしが聞こえてくるに違いない。やがて略一世紀を生きた鳥となり、さまざまな思い出をのせて飛び立つことだろう。
                    <1990(平成2)年1月3日>