5.七草粥
<平成2年1月3日>
わたしの住んでいる川崎市のこの辺りでは、正月七日の朝に七草粥(ななくさがゆ)を食べる風習が残っている。七草粥は昔から万病を除くといわれ、無病息災の大事な行事の一つであった。
わたしが少女の頃は、この辺りでは七草ばやしの習俗も残っていた。
六日の夜に桶の上にまな板をのせて、その上に火箸やさい箸おたま等を何組も置いて、摘み集めた菜ずな等の青ものを包丁でたたいた。そのときガチャガチャチャカチャカ賑やかな音を立てながら、「七草なずな唐土(とうと)の鳥が、日本の土地に渡らぬさきに、すととんとんよ すととんとんよ」と唱えたものだ。
それを一家の主(あるじ)が行うしきたりで、毎年父が一寸照れ乍らやっていたのを思い出す。
その傍(かたわ)らで使用人達が「ソレすととんとんよ」と、大いにはやしたてていたものだ。
お正月のこの時期は、おせち料理やお餅などで、胃の調子が重くなっているから、あっさりしたお粥が歓迎されるのも当然の理と言える。
今ではその時期になると、和風レストランなどで、七草粥がメニューに並んでいる。
七草ばやしを年中行事にしていたころの遊びは何處へ行っても、羽根つき竹馬コマめんこ、凧あげ、双六かるたとり等々に興じていたものだ。かくして静かに平和な楽しいお正月を大人も子供も満喫していた。
七草の頃は寒風が吹きすさんで家の中もとても寒かった。
暖は掘りごたつと火鉢だけの寒さに耐える生活だった。
その中から堪える心と、苦しみもやがて芽を吹く春の訪れに、希望を抱く人生の哲学が、実感としてあったのではないかと思う。
「七草なずな唐土の鳥が―」若き日の父の顔が、いま九十四歳余の父と重なって、時の流れの川の中で、わたしの心に聞こえてくる。
父の心の中にも、遙かな七草ばやしが聞こえてくるに違いない。やがて略一世紀を生きた鳥となり、様々な思い出をのせて飛立つことだろう。