12.「早春賦」の季節に
<平成6年3月13日>
春は名のみの風の寒さや - 今まさに「早春賦」のうたを思わせる季節である。
このところ風の日が多く乾燥しているので、植木がすっかり乾いてしまい、久しぶりに庭に出てホースで水をやった。
十年余りも経つだろうか生前に父が植えた水仙が、庭の一隅にすんなりと勢よく伸び蕾が色づいていた。
植えた人はいなくなっても、こうして毎年季節が訪れると芽が出て、やがて美しい花を咲かせる自然のすばらしさに感動をおぼえた。
と共に四年前の三月のお彼岸に、九十五歳で亡くなった父をなつかしく思った。
ふとあたかも人の視線を感じるように花の視線を感じると、山椿の燃える紅いろが、ハッと鮮やかにハッと美しく凛として微笑んでいた。
父は詩も絵も本も歌も残さなかった。そして地位や名誉に関心がなかった。
けれど自然や緑や花をこよなく愛した風流人だった。
庭の草木の手入れに余念がなかった。
縁側でお茶をのみ乍ら、自分で手をかけた庭を眺め、母と語らう時間を大切にしていた。
私は時どき人の世の淋しさ悲しさ、苦しみ怒りなどの打ちひしがれた時、庭に出ると父が残してくれた緑や花がやさしく慰めてくれる。
もうすぐお彼岸である。
彼岸桜の蕾がふっくらと季節を告げている。
紅梅の花吹雪が、庭一面に紅いろの小さな蝶になって舞っていた。